瓶詰めの青

零したり詰めたり

ほしいものが、ほしいわ。

糸井重里

 

斎藤環『生き延びるためのラカン』で見つけた。胸を打ち抜かれた気分だった。

 

わたしは、いつも「欲しいもの」が欲しくて苦しい。だから世間的にあったら幸せだよ~!!という感じになっているものを欲しがる。最たるものが愛情(恋人)。あとは服とか化粧品とかアクセサリーとか食べ物とか短期的な欲しいもの。

 

昔は欲しいものが手に入ると嬉しかったし、楽しかった。

でもいまは、手に入って満たされることが、少なくなってきた。

買った服は一応ちゃんと着ている(ほとんど買わなくなったけど)。でも化粧品とかアクセサリーは買っても半分も使わなかったり、そもそも開封しなかったり。食べ物は買ったり注文するはしから、別にいらないのにと後悔していることがある。さっきまでこれが食べたい、と思っていたはずなのに、口に運ぶ時には後悔しながら運んでいたりする。お金大事にしないとなぁ、と思いながら食べるものはそんなにおいしくない。また太るなぁ、わたしはだめだなぁ、と思ったりする。さらにおいしくない。

たまに飲みすぎて吐いたら、どこかで少し安心している。これで痩せられる!とひそかに思っている。こんなこと続けてたらどこかで摂食障害になりかねないぞと思うけど、自発的に吐こうとしていないから大丈夫だろうとも信じている(実際のところわたしはまだまだ大丈夫だ)。

 

わたしの「欲しいもの」は、本当はもうないのだろうか。それとも「欲しいもの」を見る目が曇ってしまったのだろうか。それともお金を使いたいからなんとなくものを欲しいと感じて支払っているだけ? お金を使って得ているのは何? 本当に望んでいる?

欲しい気持ちにばかり振り回されている。わたしはたぶんものが欲しいのではなくて、きっと欲しいものを得た充実感とか達成感が欲しいのだ。

ならば、何か目標を作って頑張って達成感を得たらいい。自分も変われるし素晴らしいアイデアじゃないか、と思う。そうしたいと思って、そうする。達成する。一瞬、嬉しくなる。

けれど、頑張って得た達成感は何かが欲しい気持ちよりもずっとずっと儚くて、わたしはまたすぐに何かを欲しがっている。「欲しいもの」は空っぽのくせに欲しがっている。満たされたくて、幸せになりたくてたまらない。結局わたしは幸せになりたいのだ。「幸せ」もまた漠然としている。「幸せ」を欲しがる気持ちに振り回されている。

 

欲しいものを見極めたい。