瓶詰めの青

零したり詰めたり

「こんにちは。あたしはビビガール、完全無欠なお人形です。」

ミヒャエル・エンデ 『モモ』

 

欠点があってよかった、個性があってよかったと思った日は一度もない。

 

欠点をなじられること、個性を馬鹿にされること、生きるってつまりそういうことの繰り返しで、だから人は大人になる前にできるだけ平準化されていくべきなんじゃないのかな。個性や、欠点さえも魅力のある限られた(意外とたくさんいる)人々以外は。

 

少し昔、落ち込むとしばしば手首を切る知り合いがいまして、その人が結構好きだったわたしはその心理を理解してみたくて、(あとちょっとひとのやさしさがほしくて)悲しいときに同じようにしてみたんですね。結果どうなったかって、知り合いの周りは今までどおり同情が集まって、わたしの周りには今までどおり大して集まらないままでした。

行動の痛々しさは同格でも、他人の目を集められるか否かは結局その人の運というか実力というか、まぁとにかくわたしにはできないんだなぁ。

落ち込んでそうする心理は大して理解できないまま別の真理を得ました。

今思うとそれは一番乗りではなかったからではないかなーという気もしてきた。優しくされたかったら手首とかメソメソしてないでもっと思い切った手を打つべきでしたね。このころからすでに詰めが甘い。

 

 

欠点も個性も魅力に変えられる人はすごいなあ。つまり人はみんなわたしよりすごい。

わたしは、わたしより優秀で優しくてうつくしくてすばらしい人々しかいない世界に生きている。この場所は天国と同義のはずなのにどうして幸せと思えないんだろうか。