瓶詰めの青

零したり詰めたり

血液は逃避の路線

amazarashi『スピードと摩擦』より


自分には本当に好きといえるものが何もないのに気がついた。心からやりたいと思っていることなどなかった。

本を読むのは現実から逃げるため。
文章を書くのは現実から逃げるため。
眠るのは現実から逃げるため。
音楽と接するのは現実から逃げるため。
愛飲するのは現実から逃げるため。

すべて強迫観念めいている。やりたいわけじゃない。趣味なんかじゃなくただの逃げ場だ。

私の生きている現実はモノにもカネにも愛にもそこそこ満たされていて十分幸福なはずだ。それなのに私はいっこうに満たされる気配がない。幸福がわからないのは致命的な欠陥だと思う。わからないなら、どれだけ近くにあってもないのと同じだ。

あるいは私が逃げたいのは現実ではなく私自身なのかもしれない。私でいることが耐えられないのかもしれない。不完全な女のコスプレしかできない自分に自信を持てたことは、ない。

自分を換金できたら、としばしば思う。カネという目に見える価値で自分を評価できたら安心できる気がうっすらする。
「あなたの値段は○○円」
○○が与えられれば、私が何をしても○○円ということにはならないだろうか。そうすると自分のことを妙に高く見積もることも低く見積もることもなくなるだろう。○○がどのような値になっても必ず(迷いもなく)受け入れるという前提がいるけれど。


ここまで書いて小学生の頃に『あなたのエラさは何ポッチ?』(多分こんなタイトルだった)というSF短編を読んだことを思い出した。タイトルしか覚えてないけど。アンソロの中の一作だったと思う。

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